(前編からの続きです)
485系車両を使用する最終の特急いなほが、酒田に向かって新潟駅のホームを静かに出発しました。
運転士や車掌への花束贈呈や横断幕による駅員の見送りといった特別なセレモニーは一切ありません。
テレビ中継もなく、寝台特急のラストラン時の騒ぎに比べると拍子抜けするような状況での旅立ちとなりました。
特別なことはしてくれなくていい・・・私にはまるで485系車両がそれを望んでいたかのように思えてきました。
毎年夏が来れば必ず乗った特急いなほが、私を列車旅ファンとしてここまで育ててくれたのかもしれません。
やがて持ち込む飲み物がビールに変わりましたけど。485系いなほは私の“青春”だったと言っていいでしょう。
幼い頃、母に連れられ帰省客で混雑するいなほに乗車したことを思い出しながら飲むビールがまたほろ苦くて。
今は年老いた母の姿が、老朽化を理由に引退する485系車両と重なり、感傷的な気分になってしまいました。
新潟の市街地を抜けると阿賀野川を渡ります。7月9日に列島を襲った大雨によりかなり増水していました。
台風8号の影響で列車が運休になったらどうしようとやきもきしていましたが、それは杞憂に終わったようです。
夏の今なら田園風景がちょうど夕焼けに染まる時間帯なのですが、あいにくこの日は雲が垂れ込めていました。
日本有数の穀倉地帯を走ることからいなほと名付けられた特急。車両は替わってもその使命は変わりません。
田植えから約2か月が経過し順調に生長している稲の様子を眺めていると、少しだけ元気を取り戻せました。
村上に到着。見送ろうとする人の姿はほとんどありません。列車を降りた人は足早に改札へ向かっていました。
新潟出発時には車掌さんがこの車両が本日をもって現役を引退することを放送で案内していたんですけどね。
鉄道に興味がなく、家路を急ぎたい人にとっては、車両の引退なんてどうでもいいことなのかもしれませんね。
さて、村上を出発すると間もなく、列車旅ファンにはすっかりおなじみの旅の“アクセント”があります。それは・・・
直流から交流への電源切り替えに伴う、車内の消灯です。非常灯だけが灯る車内はムーディーな空間に。
照明による窓ガラスの反射がなくなると、夜の車窓が鮮明に浮かび上がります。これが実にいいんですよね。
村上と次の間島の間にいわゆる「デッドセクション(死電区間)」が存在するために体験できるこの現象。
それは本当に束の間の出来事なのですが、485系車両ならではの楽しみの1つと言えるでしょう。
(新潟県内にはJR北陸本線の糸魚川と梶屋敷の間にもデッドセクションがあり、特急北越で体験可能です)
その後、景勝地の笹川流れを走行するも夜のため景色を楽しむことができないまま列車は鶴岡に到着。
緑色のヘッドマークが闇夜に一段と映えます。485系車両によるいなほの旅も残り30分を切ってしまいました。
そして最後の停車駅である余目に到着。ここでの下車客も未練がましい行動を見せることはありませんでした。
約2時間の旅路の末、遂に列車は終点酒田に到着しました。特別な出迎えはなく、実に寂しい幕切れでした。
結局、私の席の隣は最後まで空席のままでした。おかげで気兼ねすることなく寛ぐことができましたけどね。
16席しかないグリーン席も乗車した客は半分程度。普通席も空席が多く、その意味でも寂しい幕切れでした。
酒田到着後、先頭に行ってみたらヘッドマークはすでに回送表示に。もう少しサービスしてくれてもいいのに・・・
そして早くも新潟方向の運転席に乗務員が乗り込み、ヘッドライトが煌々と輝き始めました。
どうやらこの日のうちに新潟車両センターまで回送されてしまうみたいですね。
昭和の時代に生まれ、風雪に耐えながらも羽越路を走り続けた485系車両。長い間、本当にお疲れ様でした。
さよなら485系いなほ。そして、今までありがとう・・・
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